a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

あえて言おう、誤解であると。

  • すべての価値を網羅した言葉など、存在し得ません。
  • 価値とは、その基準とするものによって相対的なものだからです。これは価値というものの前提であり、自分が正しい、または間違っていると評価したりされたりすることの根本にあります。
  • 当然のことながら、ある価値を是とする際の理解もまた個人単位で異なっているのですが、一方あらゆる価値はその方向性を共有することで実際の揺らぎを修正し、あたかも同じことであるかのように共通化しようとします。
  • これが言葉であり、本来その意味するところは表象、単なる記号にすぎないのですが、最も曖昧かつ不安定であるところのその言葉をもって、人は人やその価値に対する信頼の根拠とします。
  • 相互理解のために作った最大公約数を、基準に使っているわけです。後述する通り、それは妥協の末の選択とも言えます。
  • テレビを見ていると「何々に対する配慮を欠いて云々」と謝罪する発言を耳にします。私は正直、そんなに皆に配慮しきれるものではないと思っています。もちろん、自分が発言することで影響を与える範囲に対してうかつであることを容認する、ということではありません。
  • ただ、「正義」や「マジョリティ」が正しいと無条件に受け入れる(あるいは、マイノリティの存在を認識できない)ような価値観については、浅薄さを感じてしまいます。
  • 最初に、すべての価値を網羅した言葉は存在しないと言いましたが、あれは嘘です。ほら、占い師や霊能者がよくやるじゃないですか。「あなたは今、人間関係に悩みを抱えていますね」とか。ただあれは技術であって、単なるおためごかしとは性質の異なるものです。
  • 言葉なんて、そんなものです。実際どうとでもなります。「そういう意味で言ったんじゃない」なんていうのは、それこそ存在しない。そういう意味に伝わったんだから、そういう意味で言ったんだ。伝えたかったように、言い直せばいい。
  • 言葉は存在として不明瞭で、コミュニケーションの手段としての使用に限界がある一方、人間は他にコミュニケーションの手段を知りません。人が人と話す時の不安要素の一つは、このジレンマにあります。
  • だから、私はその言葉の一つ一つを、大切に使っていきたいと心がけています。
  • 「ただし、できる範囲で。」これが結構重要。