a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

さいあいのひと

きょう、わたしがいままででゆいいつほんきであいしたひととでんわをしました。だいがくいんにいっていたとき、つきあっていたひとです。ごねんのつきひがながれていました。

かのじょはげんきでした。わたしはいまもあなたをすきです、といいました。こらえきれませんでした。かのじょはこまっていました。

かのじょにはすきなひとがいました。わたしはそれでいいとおもいました。かのじょはまえをむいていきていました。わたしはよこをむいていきています、とじょうだんめかしてわたしはいいました。かのじょはわらいました。

かのじょはわたしとわかれたことをおいめにかんじていました。だからじぶんからはれんらくできなかった、と。たしかにわたしはふかくきずつきました。ただ、かのじょをにくんだことはありませんでした。かのじょとわかれたことでわたしはじぶんをみなおし、ぶんせきすることができました。そのおかげで、いまのわたしは、わたしであるとだんげんできます。

わかれるときに「うけいれられること、あいされることのよろこびをしった」そうかのじょはいってくれました。そのことを、かのじょはいまでもおぼえてくれていました。かのじょにとって、わたしというそんざいはたしかにいみのあるものだったのだとかんじました。わたしがいまもほんとうにだいじにしていることばです。

わたしはかのじょのことをおもいだしたことはありませんでした。わすれたことがなかったからです。かのじょはずっとわたしのちかくにいました。はなしをして、それをつよくかんじました。かのじょはどこへもいってはいませんでした。

こんかい、わたしはいまのじぶんのおもいをできるだけのこらず、できるだけせいかくにかのじょにつたえようとしましたが、おもいがあふれてことばにできませんでした。むねがいっぱいになりました。

わたしはかのじょをずいぶんこまらせてしまったとおもいます。それはほんいではないけれど、わたしはしあわせものだとおもいました。かのじょのなかにもたしかにわたしがいるのをかんじました。でんわをきったあと、すこしなみだがでました。

とけいはもどらない。やりなおしなんてきかない。だから、かのじょとのひび、かのじょのそんざい、かのじょのいまをわたしはたいせつにおもっています。

うえにかいたすべてはじこまんぞくであるととらえることもできます。でも、わたしはそうしません。けっしてそうではないと、しんじているからです。

あなたをすきでよかったと、こころからおもいました。

そんな、よるでした。