a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

自己暗示とは呪いである。恐らく。

すべては自分の思い込み、そう思う。

そして、その思い込みに踊らされて私は日々を送っていると思う。

例えば。

昼間に意図せずうとうとしてしまい、「これは夜眠るのに影響するなぁ」と思ったが最後、その夜は全く眠れない。

思えば、そもそも人も世界も自分の主観が創り上げた幻像に過ぎず、その観点からすれば上述したことは至極当然のことだ。

これに対応しうるのは、「意図しない偶然の出来事」だと考える。それが自己暗示に呪われて身動きの取れなくなった私の心に微かな風穴をあけ、自己の中に僅かな「ずれ」を生じさせるのだ。「ずれ」の幅はいくらでもいい。目的は「凝り固まったものをそうでなくす」ことだからだ。

ただ、最大の問題はその「ずれ」が「意図しない偶然」によるものでなければならないことだと思う。意図して出来事を起こすとそれはただの予定調和として自己暗示による呪いは解けない。

うーむ。桜は静かに咲き、早くも散り始めている。