言葉って難しい
―――『あの地の彼らの言葉を混乱させよう、そうすれば互いに語っていることが分からなくなるだろう。』(旧約聖書『創世記』第11章)
人間は、己の欲望の為、神に背き天に届く塔を建て始めた。
その行動に怒った神は人間の言葉をばらばらにすることで
塔の建設を不可能にしてしまい、人間は各地に散り散りになった。
『バベルの塔』の物語として知られるこの物語の中で、神は人間の傲慢を裁いた。
人が誰かに何かを伝える時、言葉とは何ともどかしい手段だろうか。
それでも他に伝える手段が無いから、人は語り続ける。
言葉は、自分の頭の中にあるものを口にする時と
相手の耳から頭の中に入っていく時の
合計2回翻訳されて伝わる。
それでうまく伝わるはずが無い。
確かに人間は傲慢な生き物だとは思う。
己の欲望の為に他人が不幸になる可能性に気付きもしない。
自分が不幸な時には世界自体を理不尽なものと憤る。
このような生き物は裁かれて然るべきなのかも知れない。
ただ、何故神は「裁く者」なのか。
神が審判者であると決めたのは誰か。
誰が決めたのか分からない審判者によって
人間はばらばらな存在になってしまった。
神の存在を定義したのは紛れも無く人間であり、そのことに対する罰を今も自ら受けているのか。
いやぁ、人間ってほんっと、自虐的ですねぇ。