a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

フラットな心

最近殊更に無感動になっている感じがする。

楽しくない、嬉しくない、悲しくない。

怒らない、笑わない、泣かない。

TVCMでは、それこそが「鬱」であり、薬で治せる病なのだと言っている。

思えば小学校の時に個人面談の中で「学級委員などをやって普段から皆の中心にいるのにどこか冷めた部分がある」「みんなで盛り上がっていても、それを見下ろしているもう一人の君がいる感じがする」と言われたのを覚えている。

これらの言葉は、私が貰った言葉の中でも未だ大きな位置を占めている。

因みにこいつらは外に出たがっているのに、それを私が閉じ込めているのだろうか。

それとも、単に出たがらないのだろうか。

どちらにしても、何故だろう。

理由の一つは分かっている。

何かに対して大きな幸せを感じるということは、別の何かに対して大きな不幸せを感じるということだからだ。

それが、怖いのだ。

今は、少しだけ分かる。

「何も感じない」事もまた、恐ろしいのだと。

それでも、怖いものは怖い。