a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

やさぐれた天才が好き

最近ドラマで「医龍」ってやっててあれもコミック原作らしい(昨今のドラマ事情を鑑みるに余程脚本家不足なんだろう)が、あれ面白い。

天才、しかもやさぐれた、一匹狼の、他の何をも顧みない、そんな天才が好きなんだと気付いた。それは一部の人からは「カリスマ(限りなく原意「神の賜」に近い意味で)」と呼ばれ、人々の崇拝を集める。ただ、やさぐれ天才には崇拝なんて必要無い。それ以前に、崇拝されようがされまいが関係無い。そこがウェーバーの言う「カリスマ的支配」(『職業としての政治』だっけ)における「カリスマ」の意味との決定的な違い。そういう意味で、私が好きな種類の「カリスマ」はナポレオンやヒトラー、またキリストとは違う。

話を戻すと、やさぐれ天才はカリスマとは違う。そこでジム・モリソン。私の中でのやさぐれ天才の象徴的存在。定義的には少々ずれるところもあるが円谷幸吉なんかもやさぐれ天才だと思う。天性の資質プラス反抗心(自己をも含めた全てに対する)、そして自己の在り方に妥協を許さない姿勢。或る人はそんな人を指して「自己中心的」と呼ぶだろう。でも、私はそんな人が好きだし、憧れる。そして自分のなりたい姿かも知れない。

ただ、上に挙げた二人が共に最終的には死を選んだという共通点が少し気になる。