a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

円周率は生きている

円周率が好きだ。延々と計算をし続けているコンピュータもあると聞く。何万桁も暗記している人もいるらしい。そういうのを聞くと彼らにとって円周率の何たるかなんて既にどうでもよくなっている気がする。

私が円周率を好きなのは、もっと哲学的な意味においてだ。終りが無いということ。私にとって終りが無いということは魅力的であると同時に恐ろしい。終りが無いことの魅力。一般的に言えばそれは「諦める」という言葉を無意味なものにする。いつまででも、何度でも挑戦できるからだ。人間は目標を見つけ、それをクリアしては新たな目標を立てるという繰り返しの中に生き甲斐を見出す。そうすることはいいことだとは思うがいつか目標そのものが目標になってしまわないかと心配になる。その螺旋に捕まった人は自分がそこに陥っていることにすら気付かないだろう。

終りが無いことの恐怖。それは「死」の喪失。永遠に死なないなんて考えられない。いつか死ぬからこそ、人は生きる。どうしても生きていたくなくなったら、自ら命を絶つだろう。死の喪失は、同時に死の禁止であり、生の苦痛となる。

ほんの序章しか書いていないがこの話はまさに円周率のように終らない。因みに思考は終了しないというのが私の信条だ。ひとまず、円周率という美を味わいつつ頭脳を休息させようか。