a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

ありたい自分、あるべき自分、本当の自分。

「~でなければならない」「~であるべきだ」という考え方はやはり偏ったものであったと認識しなければならない。それこそが、病気の本体であると。

ただし、それは決して「楽な方に流れてもよい」というものではなく、しかし同時に「自分を許さない」考え方自体に変容をもたらすことを自ずと要求するものだ。

現状を見ると、完全志向の価値判断は(私の場合)、自身の首を絞めることになっている。自己嫌悪は「あるべき自分」に届かない己を許さないという意味であり、そのどちらかが間違っているという以前にその構造自体から脱する必要がある。

続きはまた考える。