a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

何の因果か

金曜、土曜と、うちに客が来ていた。

イスラエル人。バックパッカー

そこに到るまでを話せば長くなる…が、話す。

友人Aは大学を卒業後、日本中を車でウロウロしながら暮らしている、ヒッピーみたいな奴だ。

イスラエル人はAと鹿児島で出会ったとの事。

友人Bは大学を卒業後、バイトしたり印度行きたいとか言っていたが家族会議の結果就職することを決意したらしく、現在は京都で働いている。

Aがイスラエル人を連れてBの家にやって来た。

2,3日Bの家に泊まった後、何を思ったかイスラエル人を置いて行ってしまった。

イスラエル人はあと10日ほど京都にいるということで、仕事だ何だでストレスフルなBはイスラエル人を追い出すべきか私の家に相談に来た。

因みに家は50m程の距離。

で、土日が休日の私はBのストレスを慮った結果、金土の夜なら、と言う条件付でイスラエル人を家に置いてやる事にした訳だ。

結構割愛したにも拘らずあまりにもツッコミ所満載すぎてネタにすら思えるが、事実なのだ。

Bは「この世界、自分みたいな人間がいたっていいじゃないか」と言った。

彼はきっと全てを受け入れられる自由な人間になりたいんだろう。

彼女にはキレられていたが。

私はそんな彼が好きだ。

だから、受け入れる。

全てを受け入れるためには、水のような、風のような、他の全てのものに合わせて常に形を変えながらも本質を保ち続ける心が必要なのではないかと思う。

そんな人に、私は、なりたい。