a reminiscence

The most capacious measure is filled at last.

選択するということは選択しないということ。

いつも思っていることだけど、何かを選ぶということはその他のすべての選択肢を捨てるということに等しいのではないだろうか。

もちろんそうすべきなのかも知れないし、他の選択肢を捨てない選択は本質的に「選んだ」とは言えないようにも思う。「あれも、これも」というのは傲慢にすぎないとも思う。

ここ数年の私は「他人のプライベートに踏み込まない」というのを基本的な姿勢にしてきた。それを「選ぶ」ことによって自分の中に蓄積されるストレスを回避するために必要な考え方だった。そうすることで訪れる孤独のことなど、想定している余裕がなかった。そしてそれは、分かり切っていることでもあった。

上記を踏まえて私が今回選んだのは、「人の眼を見る」ことだ。それはつまり他人のプライベートと少なくとも向き合うことであり、過程としてそこに踏み込む可能性は当然高くなるしそうすることによる自分自身のリスクも高くなる。

それでもやはり、原因を分かっていながら何もしないのは原因を分かっていないのと同じだと思うし、分かっているなら何かした方が早いのだ。